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MARCH85J

BMW M12/7搭載、全日本F2選手権を駆け抜けたマシン



このF2カーは、1985年、1986年の全日本F2選手権で松田秀士(現・モータージャーナリスト、スーパーGT300ドライバー)がドライブしていた車両である。


1985年の全日本F2選手権では、シャシーが間に合わないシーズン当初を除き、ヨーロッパF3000用のシャシーを全日本F2用に改良した「MARCH 85J」をほぼすべてのエントラントが使用しており、当時のスタンダードシャシーであった。もちろん、シャシーはアルミハニカム+CFRP(カーボン繊維強化プラスチック)のモノコックである。搭載されているエンジンは、ヨーロッパや日本のF2で主流となっていたBMW M12/7(2リッター直列4気筒DOHC 4バルブ)で、実際に松田が全日本F2で使っていたものだ。


このMARCH 85Jの来歴をお伝えするには、松田秀士のF2参戦当時のことを中心に話した方が分かりやすいだろう。


松田は義兄ビートたけしのサポートを受けながら1983年(28歳)の時にシビックレースでデビューし、翌1984年にF3にステップアップ。第3戦富士スピードウェイで初優勝すると、1985年にはF2へと、瞬く間に日本のトップカテゴリーに駆け上がっていった。


1985年、「たけしプロジェクト レーシングチーム」から全日本F2選手権に参戦することになった松田は、開幕戦鈴鹿と第2戦富士こそ型落ちシャシーのAGS JH18Bを使ったが、第2戦から「ポカリスウェット」(大塚製薬)がメインスポンサーに就き、第3戦西日本からは、星野一義や中嶋悟などトップドライバーだけが第2戦から投入していた1985年モデルのMARCH 85Jに乗り換え、8位入賞を果たす。しかし、それ以降はBMWエンジンのパフォーマンス不足に悩まされてしまう。前年1984年は約20台中BMW M12/7ユーザーが4分の3以上いたが、1985年はYAMAHAが全日本F2に参入し、HONDAとYAMAHAのエンジンの間に埋もれる格好となってしまったのだ。


相対的な非力さを痛感した松田陣営は、1986年第2戦富士からエンジンをYAMAHA OX66(2リッターV型6気筒DOHC 5バルブ)にスイッチ。シーズン途中から「カロリーメイト」(大塚製薬)をメインスポンサーとして獲得し、このカラーリングで戦った。しかし、ライバルたちがシャシーを1986年モデルのMARCH 86Jに乗り換えていたこともあり、上位入賞は果たせなかった。


1987年から全日本F2選手権は全日本F3000選手権と取って代わることになり、このMARCH 85Jも1986年最終戦をもって現役引退となった。


1986シーズン終了後、アマチュアレーサーとして最近までツーリングカーカテゴリーに参戦していた現オーナーがこの車両を購入。購入後5年の間にBMW M12/7で2~3回サーキットで走ったというが、まさに別世界のスピードとパフォーマンスだったという。MARCH 85J+BMW M12/7は一世を風靡したユニット。そのパフォーマンスの高さはいまでも健在と言えよう。当時のままから保存されてきたため、必要な装備は付いているが、実走行から10年以上経過しているため、走る場合はエンジンや足まわりなど全体的なオーバーホールが必要だ。


「仕事を引退したらまた乗りたい」という現オーナーだが、走らないまま、あるいは展示されないまま置いておくのもさびしいということで、今回出品となった。
(敬称略)



■外装

屋内保管されていただけあり、カロリーメイトカラーの色褪せなどはないが、経年劣化と見られる塗装の剥げなどはある。また、走行時に付いたであろうボディのキズも全体的に見て取れるが、これもまた「実戦の勲章」と言えよう。

■内装

コクピットの、シート部分は着座位置あたりも含め、ウレタン劣化や合皮の剥げなどでさすがにキレイとは言い難い。ただ、ステアリングやメーター類は磨けば問題なさそう。

■総評

当時主流のスクウエアな意匠は、最新の流線形のレーシングカーにはない独特のスパルタンな雰囲気。保管状態での取材だったのでトラベルタイヤを履いたままの撮影となったが、スリックタイヤを履けばその迫力が一気によみがえるはず。各所にオーバーホールやレストアが必要だが、それさえ済めば、F2カーのパフォーマンスを存分に味わえるだろう。


売約済み



年式

1985年

走行距離

不明

ミッション

5速MTシーケンシャル

車検

現在色

イエロー

元色

不明

排気量

1991cc

ハンドル位置

センター

乗車定員

1名

車体寸法

ー×ー×ー(mm)

車両重量

ーkg

駆動方式

MR

使用燃料

レース専用ガソリン

装備

なし

燃料タンク容量

115L

車体番号

MARCH 85J-11

車両形式

MARCH 85J

入手経路

中古

メーター交換

エアバッグ

修復歴

有(と思われる)

オーナー数

国内1オーナー

記録簿

なし

取扱説明書

なし

自動車税

リサイクル券

現所在地

埼玉県

保管方法

屋内


タイヤ

DUNLOPスリック  前:230/545R13 後:340/620R13

ホイール

ENKEI

ブレ-キパッド

不明

ブレ-キロ-タ-

不明

サス仕様

不明

ダンパー

不明

スプリング

前:推定700 lbs/inch 後:不明

スタビ

不明

クラッチ

不明

ギアレシオ

ヒューランド

ファイナルギア

不明

LSD

不明

エキマニ

不明

触媒

なし

サイレンサー

不明

プラグ

不明

プラグコ-ド

不明

ラジエター

不明

ブッシュ類

不明

ドライブシャフト

不明

タワーバー

不明

アンダーコート

ロールバー

標準装備

フレーム修復歴

不明

ボディ補強

不明

シート

松田秀士用ワンオフ

ハーネス

WILLANS 4点式

エアロ

標準装備


消火器

不明

燃料タンク

不明

メンテナンスガレージ

不明

エンジンチューン

不明

補器類・ECU変更

不明

競技歴

全日本F2選手権1985、1986年

パーツの状態確認

エンジン:ー

ミッション:ー

シャーシ:ー

電装系:ー

その他:ー

走行時期:ー

点検時期:ー

スペアパーツ

エンジン:ー

ミッション:ー

シャーシ:ー

電装系:ー

タイヤ:ー

ホイール:ー

アピールポイント

気になるポイント


※写真を クリックすると拡大します(元に戻す場合もクリック)。


インテリア

車台プレートが本物の証

プレートはコクピット内の左側に打ち込まれている。1985年式でシャシー番号「MARCH 85J-11」と読み取れる。

コクピット開口部は意外に広いが……

コクピットには、小柄な松田秀士選手(身長163cm)に合わせて背もたれの部分にウレタンが詰めてあり、大柄だと少し窮屈かもしれない。AS Garageスタッフ(身長178cm/体重78kg)がコクピットに収まってみたが、ウレタンを薄くすればそれも解消されそうだ。WILLANSの4点式シートベルトが付いている。コクピットの縁には本来なら風切り用のサッシが付いているはずだが、この車両には付いていなかった。

コクピットはシンプル

メーターまわりは最新のレーシングカーと比べると非常にシンプルな作りで、RACEPARTS. U.K. LTD.(イギリス)のメーター類(中央:タコメーター、左:油圧/油温、右:燃圧/水温かと思われる)が装着されていた。その他付いているのは、消火器、スターター、イグニッション、テールランプなどのボタンやスイッチ類のみ。作動確認はできなかった。

ステアリングワンタッチ乗車

脱着式のMOTO-LITA(イギリス)のステアリングホイールをワンタッチで外して乗車する。

リヤスタビイザー調整機構あり

コクピットに乗って左手が来るところに、リヤのスタビライザー調整レバー(5段階式)がある。手前に引けばH(ハード)、奥に押せばS(ソフト)となる。

5速シーケンシャルシフト

コクピットに乗って右手が来るところにあるシーケンシャルシフトレバー。ミッションはパワー的にミドルレンジのエンジンに使われたヒューランド製FT200(5速)で、推奨エンジントルクは31kg-m、重量は43kg。

足もとは意外に広い

ペダル類はオルガン式。右からアクセル、ブレーキ、クラッチ。足もとは意外に広いが、ペダル間の間隔は見た目以上に非常に狭く感じる。両脇にスプリングダンパーユニットがあり、スプリングに書いてある「700」という数字はおそらくスプリングレート(ポンドパーインチ=lbs/inch)と思われる。700 lbs/inchだとすると、約12.51 kg/mmとなり、意外に硬くない印象だ。

フロントサスペンションはプルロッド式

フロントサスペンションはダブルウィッシュボーンのプルロッド式(バンプ側入力時にロッカーを押すのではなく、引くタイプ。バンプ時にスプリングとダンパーは引っ張られる)。当時のフォーミュラカーのフロントサスペンションは、(金属は、押し方向よりも引っ張り方向のほうが強度が高いという特性を持つため)ロッド自体を細く軽くでき、スプリングダンパーユニットを車体下部に取り付けられるプルロッド式が一般的だったが、空力優先となった現代ではフロントノーズが持ち上げられ、スプリングダンパーユニットをノーズ部に収めたプッシュロッド式に取って代わられている。

エクステリア

タイロッドに曲がりが……

フロント右側のサスペンションアーム類。アーム類はスチール製で、製造から25年経過した現在はさすがに錆がある。タイロッドが曲がっていたが、これはオーナーが購入後にサーキット走行した時のダメージかと思われる。移動用のトラベルタイヤとホイール、クーリング用のシュラウドが装着されていたため、ブレーキ関係の程度は確認できなかった。

インダクションボックス

BMW M12/7用のインダクションボックスにはエアクリーナーも装着されていた。ちなみに、HEIDEGGERとはヨーロッパのBMWレーシングエンジンチューナー。カロリーメイトカラーに彩られた、YAMAHA OX66用インダクションボックスもあった。

上下アームがディフューザーを挟むレイアウト

リヤサスペンションもダブルウィッシュボーンだが、アッパーアームとロワアームの間にディフューザーが通ったレイアウトになっている。そのディフューザーは汚れてはいたが、激しい劣化は見られなかった。

リヤウイングは7段階調整式

リヤウイングは7段階調整式。翼端板の穴で調整する。

エンジン・トランクルーム

名機BMW M12/7

BMW M12/7は排気量1,991cc。BMWの市販車用エンジンM10をルーツとし、レース用としてヨーロッパF2選手権や全日本F2選手権で一大勢力を誇っていたエンジンである。日本では、東名自動車やケンマツウラレーシングサービスなどの名チューナーも手掛けていた。このMARCH 85JがBMW M12/7でレースを走っていたのは1985年と1986年全日本F2選手権・開幕戦鈴鹿で、同第2戦富士からは、より戦闘力の高いYAMAHA OX66にスイッチしていた。しかし、M12/7は市販車のBMWの旧車に載せることができるため、BMW旧車ユーザーからの人気は現在でも高く、このエンジンを所有しているだけでも価値がある。ただ、実走行から10年以上経過しているため、オーバーホールはマストだろう。ECUも付いていると思われたが、本体をハッキリとは確認できなかった。バッテリーなど電装部品も新しくする必要がある。

デフオイルクーラー装備

リヤウイングステー部の根元には7段式のリヤデフオイルクーラーが装着されている。

その他

参戦の跡が残る

車検合格証と思われるシールがコクピット脇の右側に2枚貼ってある。上のシールは鈴鹿サーキットのものだろう。1986年の全日本F2選手権第7戦か第8戦(最終戦)のものと見られる。

F2に殴りこんできた「たけしプロジェクト」

松田を擁したビートたけしの「たけしプロジェクト」は、「待ってろ中嶋!」(1985年参戦時に弊社刊『Racing On』誌上で掲げたスローガン)と全日本F2選手権に“殴り込み”という勢いだった。しかし、それも単なる冷やかしなどではなく、相当な気合いの入れようで、現にたけしはチームオーナーとしてサーキットの現場にも来ており、「たけしプロジェクト」でのF2、F3000参戦も1991年まで継続した。また、松田がたけしのサポートから独立後にインディ500に参戦した時も、テレビの生放送のゲストとして出演、時には解説するなど、レースに対する造詣も深かった。

アルミハニカム+CFRPモノコック

フロントノーズコーンのアッパーカバーを外すと、上部のCFRPと下部のアルミがムキ出しに。ペダル類やブレーキオイルメンテナンス用の穴が空けられている。モノコックは、外観上では劣化は少なさそうだ。

スリックタイヤも付属

車両を買うと、本番用のスリックタイヤとホイールがフロント3本、リヤ3本付いてくる。タイヤは富士GC(グランチャンピオンレース)用のDUNLOP F:230/545-R13、R:340/620-R13、ホイールはENKEIで、現オーナーが2~3回サーキット走行した後のものだ。ホイールのリム部には「MATSUDA 10」とドライバーとゼッケンが書いてある。タイヤはさすがに賞味期限が切れている。

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以上の掲載内容は、弊社が編集・制作したものです。ナンバープレートや車体番号など、個人を特定できるような被写体や情報は意図的に伏せてあります。また、整備履歴、修復歴などに関しては、弊社で裏付けを取ったものではありません。また、本サイトに記されてる走行距離は、成約時には多少伸びております。あらかじめご了承ください。